この夏の締め、キャラシーンクラス

猛暑、台風、、、先日は地震まで。

どうなっていくんだ、地球!と突き付けられたこの夏。

とはいえ、自分の人生の事に向き合っていかなくてはならず、向き合っていけることの幸せを感じながら・・・向き合ったキャラシーンクラスでした。

 

キャラクタークラスは、相変わらず親族の実人生を追いました。

今回もまた、外側には「成功したいい家族」の中にいかに様々な葛藤を抱えて人が生きているか・・・を体現してくれました。

そして、客観的にみると・・・もう、喜劇!

どの家も、名匠・山田洋二監督の「家族はつらいよ」を地で行っている。

 

シーンは、「見よ、飛行機が高く飛べるを」と「令嬢ジュリー」

もちろん今回も色々だったが、今回の私が「なるほど」と思った二つの点は・・・

 

〇古典のハードル

古典は、その時代を研究しなければ内容がわからないというのは言わずもがなだ。

だが、もう一つの言わずもがな、「言葉」

現代の言葉で「訳」すことが如何に難しいか・・・。わかっているつもりでもこれに時間がかかる。

翻訳が現代の方で、私たちがいつも使っている言葉になっているならいいのだが・・・

それに加えて、もともとの役の人物が比喩的表現などされていてはもう二重苦だ。

「令嬢ジュリー」でも、貧乏人の子せがれが金持ちの家の庭の美味しそうなリンゴを盗もうとしたら警備がいた・・・というだけのことに「あいにく意地の悪い天使たちが大勢いて抜き身の剣で見張りをしている」となる。

シャークスピアなども「愛してます」というだけのことに3ページくらい費やしている。

私たち俳優は、それを自分の感性に触れるまで「現代語訳」しなくてはならない。

これに、いかに時間がかかることか・・・!

今回、午後~夜で6日間でWSを行ったので、またその実感が深まった。

台本を読むのは、時間との闘い!!!

 

〇セリフが出てこない・・・ということ

なかなかセリフが覚えられない人がいる。私も年のせいもあるが、セリフを覚えるのが遅い方だ。

「早い」という人は、多くはストーリーを入れ、自分で芝居の形を決めているケースが多い。

私も昔はそうしていた。自分でセリフの言い方とかが決まっている。それなら比較的覚えは早い。

そのこととは別に、覚えているのにセリフがでてこない・・・ということがある。

台詞を覚えることと、演じることが連携できない時だ。

一般的には「このセリフが出てこない」とか。

その言葉が腑に落ちてない時だ。

そういう場合、もう一から台本の読み直し・・・ということにまでなる。

 

当WSで、いわゆる天然系という方々がいる。

この方々は、とても大変だ。

天然系・・・というのは、感情的に豊かで自分自身での感情の動きが大きい。それを役の人物のように動かそうとするとうまくいかず、すべての機能が停止する。

すっごくセリフを覚えているのに、出てこない。

そうすると「なんで覚えてこないんだ!」という話になる。ますます追い詰められて出てこなくなる・・・そういう悲しい現実に直面することになる。

主にはキャラクターの問題なのだが・・・。

自分自身と役の違いがうまくいかなかくて、俳優としての衝動などを封じ込める・・・ということをやる。

まず、自分自身の言葉でしゃべらなければ芝居は面白くないが、そうしたら役の人物の要件がクリアできないからすべてを停止させるのだ。

こういう人がシーンをクリアするためには、セリフを覚えることよりもう一段深く台本を読み込むこと、それを相手に懸けることが必要になる。

それができると魔法みたいにセリフが出てくる。

 

今回、もっと早く私がそれを見抜けていたら、もっともっと先に進められたのに・・・という俳優がいた。

はあ~、なんてこったい!

せめて最終日に間に合ったことが幸いだった。

ああ、生きてる限り修行は続く!

 

 

向き合っていけることの幸せを感じながら前へ!